どうも色々と恥の多い人生を送っている中川です。
前に庭2.0を提唱したんですが、その時も本文中で自己矛盾を指摘していたのですが改めて修正してみようかと思います。でもまだあやふやな切り口なんで修正が必要なんですが、今の時代は速さ命なんでフラジャイルだけどアジャイルに進めていきます。
前回のまとめとして、庭の主体者の切り口で庭の進化論をまとめたんですが、近代以降の話で中世以前が入っていませんでした。そこで、明確な庭と呼ばれる物が成立した~中世から見直しました。
庭1.0 特権階級が主役の庭
庭2.0 庭師が主役の庭
庭3.0 みんなが主役の庭
って感じにまとめさせていただきました。
庭1.0は、主に中世の話です。庭は一部の特権階級のものであり、今のように一般人が見ることも出来ませんでした。そして庭師たちも、権力者に囲われていたり、そもそも庭師ではなく特権階級に属する文化人だったりします。閉じた世界で展開した時代が庭1.0です。使い手と作り手が一体となって庭園文化を育んで楽しんだ時代です。見る人たちも特権階級の人達であり閉じた世界で展開するので、美意識や思想や細かな作法などを高度洗練化させることが可能でした。一見するといいことなのですが、社会変化に弱く、硬直化し、継承が難しいなどの多くの問題を抱えています。使い手と観客が、美意識、思想、作法、歴史を理解して、当時のように使用できる状態でなければ成立しないのです。京都で「ぶぶ漬けいかがどす?」と聞かれて食べるような人は、排除される世界です。わかりにくさが尊ばれるハイカルチャーの領域です。
庭2.0は、近代の産業革命以降に出現した裕福な中産階級により、自宅に大量の庭が作られるようになりました。ですが、新しく登場した中産階級の人々は、文化的な蓄積が無く庭についても詳しいわけではありません。そこで庭師たちが主導権を握り、自分たちの考える庭を大量に作ってきました。庭師という制限付きで一般層にも開放された状態が庭2.0です。
ですが、ここで問題が発生します。
文化の断絶による形骸化です。
茶庭で話をすると、お茶をしない人にとってはただの風景です。現代に残されている文化財庭園は、見て楽しむだけの風景です。庭師も使って楽しむなんて事をしたこともないし、当然見て楽しむものだと考えています。庭の様式化と表現させていただきます。庭の様式化により、使い手と作り手をつないでいたはずの文化が死んでしまいました。庭が様式化した時代においては、使い手と作り手の共通言語は美のみですが、一般庶民に美はそこまでは必要ないものです。この状況は「モノからコト」が叫ばれる時代において致命的であり、庭に魅力が無くなってしまいました。
そこで僕が提案するのが庭3.0の世界です。
庭2.0では、美が価値基準になっていましたが、楽しいとか贅沢な時間が過ごせるなど人生の豊かさに貢献できるかどうかの幸福度を基準にした世界です。
自分がしあわせになれるかどうかが判断基準になり、わかりやすさが重要になります。
使い手と作り手のしあわせな関係の再構築を目指すので庭1.0の状態に近いのですが、閉じた世界ではなくより多くの人が参加できる状態です。参加者にとっての共通言語は実用性です。何かがしたいから庭を作る、コトを目的に庭を作る、人生を豊にする為の場所作りが庭作りになる時代です。作り手は、過去の遺物を捨て去らなければならない、使い手は、何が幸福であるのかを追求しなければなりません。庭師は過去ではなく、人と向合う。人の本質に根差した庭づくりをしなければならない時代が庭3.0です。
庭1.0と庭3.0は共存可能です。特権階級の文化として庭1.0、大衆文化としての庭3.0の住み分けが行なわれている状態が理想です。各々が状況に合わせた最高を目指す。一極集中的な価値観ではなく、多種多様なイイネが共存する多極化状態に移行しなければなりません。
現在僕が提唱している
「雑木の庭」×「遊び」=「森の庭」(仮 しっくり来る名前がまだ無いです。)
庭キャン
小屋のある庭
なども、この文脈上で展開しています。
次は、庭×(にわかける)って企画を立上げようか思っています。庭だけなら×(ばつ)だけど、庭と何かを組み合わせると面白くなるよねっててコンセプトです。企画内容は、コンテンツを作ったり取材をしながら情報発信をするちっさなポータルサイトを作ろうかなと考えています。あと「にわかける」なんで庭を駆け回ろうって気持ちも込めています!
まぁそんな感じで庭3.0時代を盛り上げていこうかなと思いますんで、皆もLet’s enjoy庭生活!
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AI時代の到来の庭師の役割 (ここからは蛇足です。)
現在人間は、囲碁などボードゲームの分野においてAIに勝つことは出来ません。そしてAIは、音楽などの芸術分野においても人間と同じようなレベルの作品を作ることがすでに出来るようになっています。バッハの新曲を万単位で作曲することが可能なのです。評論家に聞かせても区別できないそうです。そして、人間のアルゴリズムを解析し終わったらバッハを超える作品を億の単位で生み出すことが可能になるでしょう。人が理解不能レベルの美を産出すこともそう遠くない未来だと思います。
そして、庭の話ですが、庭も早期にAIが設計できるようになる分野の一つです。実は構成要素や評価基準が単純です。特に日本庭園だとワンパターンなんで、人間が勝てる要素は無いでしょう。
美や機能の設計だけなら人がAIに勝てなくなる時代が10~20年後には来ます。大半のガーデンデザイナーは不要になります。生き残る奴がいるとすれば、それはAIと人の文脈を繋ぐ翻訳家のような立場の人間であり、AIを使う側の存在です。あとは、AI先生の指示通り動くだけの現場作業員ですね。(汎用型ロボットが登場すれば作業員も不要)
難しく悲しい話をしましたが、簡単で楽しい話をすると、AIの弱点は楽しむことが出来ないってコトです。AIがめんどくさいことを全部やってくれるので、僕たちは楽しむことを全力でやればいい。庭師はAIが出してくる答えを形にして楽しめばいい、そして顧客に伝えるのが仕事です。でも、そんな時代が来るまではしばしかかるので、しっかりと自分のアップデートしていきます。